「豐饒の海」へ奔流する、三島由紀夫の「肉體の河」。
写真家・細江英公氏 自身の選定による未収録写真5点を追加。デザイナー・浅葉克己氏によって形造られた二十一世紀版デザイン。最高峰の印刷技術「グラセット」の採用。一冊づつ、人の手によって作られた『二十一世紀版 薔薇刑』が今ふたたび世界へ発信される。
特別愛蔵版写真集『二十一世紀版 薔薇刑』
\ 60,000(税抜)/ 1巻
著者:細江英公
被寫體および序文:三島由紀夫
造本構成:浅葉克己
制作・発行:株式会社YMP (現在:アムスホールディングス株式会社)
発売元・販売元:丸善株式会社
[ISBNコード] 978-4-908578-00-7 C ¥60000E

B4変形上製、102頁、専用函付き
平成27年11月25日発売
『薔薇刑』 ご推薦文・コメント ※50音順

恩寵と救済の魔術

ここに写っているのは三島由紀夫のように見えるが、実は三島ではない。人間のように見えるが、人間ですらない。むしろ、粉々に解体された生命であり、粉々に解体された観念であり、粉々に解体された光と影である。そこに思い当たると、見る者は戦慄し、こう独語する。ひょっとすると、私も粉々に解体されてしまうのではないかと。
しかし、これは本書の一面である。なぜなら、写真家の魔術は、粉々になったすべての砕片に新たな秩序を与え、力を充填し、他のどこにもない宇宙を産み出すことに成功しているからだ。生成の魔術を手中に収めているからこそ、写真家は恐れ気も無く、すべてを解体することから始めたのだろう。
私の考えでは二十一世紀版「薔薇刑」の第一の存在意義はここにある。今ほど何の秩序も力も無く、ただ不毛な解体、無意味な破壊へと人々が駆り立てられている時代は、かつて存在しなかったからだ。
絶望の世紀の直中(ただなか)に現われた一冊の写真集。それは恩寵と救済の光を放っている。

白百合女子大学教授
井上隆史

「豐饒の海」へ奔流する「肉體の河」

細江英公という稀代の写真家のレンズの咒術によって、”エロスとタナトス”が横溢するふしぎな都市へ、或る意味確信犯的に拉致された三島由紀夫。
―これは寫眞ですから、御覽のとほり、嘘いつはりはありません―
被寫體と被寫體をめぐつて起る變貎(メタモルフォーゼ)。被寫體として涜聖の”ポエジー”へと變貎した三島氏の肉體は、ときに鋭利な刃(やいば)のように虚空を切り裂き、ときに馥郁たる香りを發つ薔薇のように艶かしい。『薔薇刑』は證言する。
―これが本當の薔薇です―
まさに” 證言的性格の寫眞では、薔薇の意味は、形式となるために變形され馴化される。”のだ。
三島氏が自決する二週間前より一週間、東武百貨店で「三島由紀夫展」が開催された。三島由紀夫の半生を「書物の河」、「舞台の河」、「肉體の河」、「行動の河」という四つの河で辿っていた。
『薔薇刑』とはまさに、「豐饒の海」へ奔流する三島氏の「肉體の河」そのものである。

作家、前東京都知事
猪瀬直樹

怪物

発表から半世紀、今なお世界中の人々を魅了し続ける怪物写真集「薔薇刑」。私自身も深くその「怪物」に影響を受けた一人である。
小宮山書店初代、慶一が「薔薇刑」(初版)の内容見本に名を連ねた経緯もあり、【二十一世紀版】写真集に寄稿出来ることに、ただならぬ「縁」と「喜び」を感じる。
細江英公作品「薔薇刑」は、被写体となった三島由紀夫氏の文学作品同様に人々の感性を刺激し高揚させる魅力があり、それは日本写真史…いや世界写真史の中でも永遠に輝き続けるだろう。
未掲載写真も加わり、時代と共にバージョンアップを繰り返す「新・怪物」に期待!

小宮山書店 三代目
小宮山慶太

『薔薇刑』の目

『薔薇刑』は、人間を解体し、再度組み立てる地下工場を写したかのような写真集である。三島由紀夫の『鏡子の家』には、落日の風景を形態と色彩に分解し、画布にもう一度その落日を作り出す若い日本画家が出てくる。彼にとっては、現実の風景と絵の風景の価値はもはや?倒しているのである。細江英公氏が三島由紀夫を被写体にして撮った『薔薇刑』も、実在の三島よりも三島らしい「三島」が、生活者の三島には感じられない「三島」が再構築されている。しかし、あの眼球だけは、さすがの細江氏も加工をためらったようだ。写真として見られる目が、逆にこちらを見返してくる。もの凄く強い実在の眼光で。しかしそれが、死後何十年経ってもそこに生きているように感じさせるのは、細江英公氏の芸術的な力にほかなるまい。

近畿大学教授
佐藤秀明

永遠の現在形

卓れた作品というものは発表後も成長・変貌を続ける。表現者三島由紀夫が単なる被写体という以上に深く関わった、撮影者細江英公との共作ともいえる写真集『薔薇刑』は、最も尖鋭的な一例だろう。被写体の生の頂点で出現したこの写真群は、その時点ですでに衝撃的な事件だったが、十年後の被写体の自裁によって一挙に衝撃度を増した。それからさらに四十五年、人類世界が血なまぐささを露呈してきた現在、その印象はいっそう強い。いま『薔薇刑』を開く者は、どのページにもなまなましい血の色を見、血の臭いを嗅ぐ。そして、それこそが被写体の撮影時からの秘かな熱望であり計画だったことを思い知らされる。三島由紀夫はその衝撃的な死によって『薔薇刑』を永遠の現在形にしたのだ。

詩人
高橋睦郎

『薔薇刑』・時の盗人―『鍵のかかる部屋』から

明るい秋の昼下がり、わたしはまた、あの『鍵のかかる部屋』を訪れた。もう四十五年たちましたね、と親切な案内人がささやく。でも隠れ家は深閑として、そんな実感は少しもない。
あの頃お母様はお客の接待に忙しく、わたしは息をつめて、部屋を透き見したものだ。なかは幻燈写真さながら、光と闇のお祭り騒ぎで、わたしは何とか早く大人になりたいと熱心に思った。だがそれは"時の裂け目"ではなかったろうか。
間もなくお母様が倒れ、ある日留守の家にあのお客様がやってきた。嬉しさのあまり、わたしは彼にとびついてダンスを踊った。
しかし"時"はいつも忍び足で近づく死刑執行人だ。やがて「十才の女の子は血を流して死ぬだろう」と彼は恐れ、急いで部屋を出ようとする。咄嗟にわたしは部屋の中から鍵を下ろした。「大人にならない方がいいんだ」
それがあの人の遺言だった、とわたしは今でも時々考える。

「決定版 三島由紀夫全集」(新潮社)編集委員、文芸評論家
田中美代子

時代が遂に『薔薇刑』に追いついた

二十一世紀。時代が『薔薇刑』に追いついた!
かつて作家といえば、俗世から遠く離れたところに潜んで筆を握り、人知れず世界を描くものであった。そのような「作家」の役割を超越した存在。それが『薔薇刑』の三島由紀夫である。ありきたりの現実を超えた写真家の演出と技術によって、三島由紀夫の姿と形は極度に様式化され、この上なく魅惑的で、かつ謎に満ちた男が出現したのだ。何十年も時代に先んじていたこの聖なる写真集。それは、写真というメディアの煌きと、自ら楽しみ、かつ他を楽しませる被写体との、類い稀な出会いである。

作家、評論家
ダミアン・フラナガン

二十一世紀版『薔薇刑』

『薔薇刑』と言っても、これまでに三つの版があった。文字通り世界を驚かせた第一版、三島が自決を前に纏め、横尾忠則の描く三島の涅槃像で飾られた第二版、そして、没後十四年の第三版である。
しかし、細江英公氏は、今回、敢えて第四版を世に問う。それも秘蔵してきた未公開写真を加え、三島とともに傾注したすべてを、第一版の構成を復活させて、決定版とすると聞く。
第一版が刊行されて五十二年、どうしてこれほどまで細江氏はこの一冊に執念を持ち続けて来たのか。
勿論、氏の代表作であるからだが、生身の三島由紀夫とともに、美とエロス、詩と死、そして、肉体と空無をめぐって繰り広げた対話が、そして、白黒の平面に浮かび出る典雅にして綺想の物語が、氏を離さなかったのだ。レンズを構えて、限りなく近く迫り、三島の幻視する目ともなった報いかもしれない。
しかし、没後四十五年、ようやく最終的な完結の時が来た。
新たな戦慄をもたらすに違いないと、私は信じる。

「山中湖文学の森 三島由紀夫文学館」館長、文芸評論家
松本徹

讚嘆すべき才能の一致

細江英公氏の『薔薇刑』は、撮影者の細江英公氏と被写体の三島由紀夫先生との、イメージのみごとな合体と呼べる作品でしょう。人物写真として、稀有なアートと思います。

女優・随筆家
村松英子

『薔薇刑』の余白に

わたしが見つめているこの人物は、ほど遠くない未来に到来するはずの終末を、強く待ち望んでいる。だが彼は、凶事(まがごと)がいかなる形のもとに現れるかをまだ知らない。海、殺人、薔薇。いくつかの観念を手掛かりに、彼は死の甘美さへとジャンプする。肉体は牢獄だ。だがもし牢獄にも牢獄なりの調律が存在するとしたら、調律の徹底を通して神聖の顕現に立ち会うことができるのではないか。『薔薇刑』一巻は、こうした苛酷な夢想が創りだした稀有の映像である。

映画史・比較文学研究家
四方田犬彦


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